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自己紹介

はじめまして、さくらと申します

当ブログにお越しくださりありがとうございます。

 

私は現在は9歳・5歳・2歳の3人の男のを育てながら看護師をしています。

お腹には4人目の子どもがいて、春ごろ産まれる予定です。

子どもが4人も!?自分でも驚いています。

子ども3人までは聞きますが、4人はなかなか珍しいですよね。

このブログでは、4児の看護師ママが、スキルゼロ、全く分野の違う業界で月収30万円を稼げるようになるまでの成長記録を綴る予定です!

看護師をしながら3人の子育てをしている私がなぜ在宅ワークで月収30万円を稼ぎたいと思うようになったのか、私の生い立ちも含めてお話します。

 

基本情報

名前:さくら

性別:女性

生年:1982年生まれの42歳

職業:看護師

好きな食べ物:グラタン・プリン・ビール

趣味:ドラマ鑑賞

 

親が絶対の家庭に育った幼少期

一般企業で働く父親と、最初は専業主婦だった母親の次女として生まれました。

不自由なく生活させてもらいましたが、両親ともに厳しく、「ちゃんとしなさい」とよく言われていました。他の人に迷惑をかけるな、自分で努力しなさいとよく怒られていた気がします。

母は自分の話をすることが好きな人で、私は子どもながらに聞き役に徹する術を身につけました。

進みたい道が決まった中学~短大

中学2年生のころ、将来のことを考え始める時期に母親が子宮筋腫で子宮全摘の手術をしました。「看護婦さんが優しかった。あなたもなれば?」と何気なく話した一言に「看護婦さん、いいかも!」と急に看護師が将来の夢の候補1番に浮上します。

そのまま他になりたい職業も見つからず、看護の大学を受験しました。

看護師として就職~助産師資格取得

4年制大学には合格できず、県立の短大へ進学。2年で看護師の資格が取れたので、20歳で大学病院で働き始めました

口うるさい両親の元から離れたくて、実家から通える範囲でしたが寮生活を始めます。初めての一人暮らしは自由気ままで最高でした。

20歳での就職だったので、40代や50代の自分の母親世代の看護師がバリバリ働いており「娘のようだわ」と可愛がりつつ教育されたのを覚えています。聞き上手だった私はおばさまウケが良かったのでした。

 

余談ですが、私の両親は関西の有名大学の出身です。姉はMARCHと呼ばれる難関私立大学の1つを卒業し、大手銀行に入職しました。

一緒に同じ部署に入職した同期は国立大学卒業していました。

一方私は短大卒で、20歳から就職。学歴がもっと欲しいと思った私は、看護師を一旦2年で辞め、4年制の大学に大学3年生から編入しました。

編入した大学では、国際看護を学ぶ機会がありました。途上国の医療水準は低く、医師は少ないため助産師が出産をサポートすることが多いと知りました。

海外で出産をサポートできる人間になれたら役に立てるかもしれない。そんな正義感から助産師の資格もとりたい!と思い、大学院に進学し助産師資格も取得しました。

助産師として日本で少し働いて、何年かしたら海外で国際看護をしたい。そう思って、大学病院に助産師として就職しました。

助産師として働く

大学病院に助産師として就職しましたが、最初に配属されたのはNICU(新生児集中治療管理室)。NICUは赤ちゃんの集中治療室です。産まれてすぐの具合の悪い赤ちゃんや、早産で生まれたいわゆる未熟児をみる病棟です。

NICUは保育器の中でも子宮の中の環境に近づけるための工夫をしたり、胃まで通した管にミルクを3時間ごとに注入したり、お母さんが初めて赤ちゃんに授乳するのを手伝ったり色んなことを経験できました。NICUでの経験は助産師としても役に立つありがたい時間だったと思っています。

2年間NICUで勤務し、産科病棟へ異動しました。ママと赤ちゃんのために役に立てていることに非常にやりがいを感じ楽しく仕事をしていました。

病棟も外来も経験し、母親学級や5年目くらいからは助産師が担当する助産外来というものも任され、一通りの仕事はすべてこなせるようになりました。

産科に異動したのが30歳。19歳から付き合っていた彼氏がいて、そろそろ(やっと)結婚という流れになりました。国際看護への道は英語力のなさなどもあり諦め、結婚を選びます。

自分の子育て

産科に異動してから2年目に結婚をし、1年ほどで子どもを授かり3年目には産休に入りました。

「助産師だから大丈夫でしょ」と思っていた自分がいましたが、シフト勤務で1日の一部しかサポートしていない仕事と、実際の母親業は全く違いました。

3時間ごとのおっぱい、家事もしないといけない、いつ赤ちゃんが泣くかわからない恐怖。なんとかお世話をしていましたが、産後うつになりかけていました。

夫は夜勤があり、頼りづらい状況。もともと家事には非協力的でした。

そのうえ、夫はFXで大赤字を出して、生活費すら十分にくれなくなりました。育休手当だけでは私の収入も少なく、家賃や光熱費、食費の支払いで毎月揉めます。

「もう離婚だ・・・」

離婚するつもりで家を出る

「離婚だ」と思った私は子どもが1歳2か月のとき、夫が夜勤に出かけた後、必要なものだけをもって実家に帰りました。

実家で4か月ほどお世話になり、その後は子どもと2人暮らしをしながら仕事に復帰しました。夫とは離婚調停を始めましたが、とりあえず面会交流を始めましょうという流れになり、子どもと夫は再会しました。

面会交流で月1回会う中で、夫は休みの日もすべてアルバイトをして月7万円も私に送金してくれるようになりました。子どももお父さんと遊べる日は嬉しそうです。

「あー、もう大丈夫なのかなぁ」

FXは二度とやらないと反省している様子もあり、子どももお父さんといたいと話す。これならよりを戻してもいいのかなと考え始めていたころ、子どもが喘息発作で入院。交代で毎日付き添いました。何かあったとき、手伝ってくれる人がいるのは心強いし助かる。これで復縁することを決めました。

復縁して第二子・第三子を出産して復職

復縁して1年後に第二子、そのまた3年後には第三子を出産しました。第三子の出産後は夫も育児休暇を1年とり、のんびり過ごしました。

ですが、夫も私も育休を取得したということは、働いている時の収入の約半分で生活した訳です。どんどん貯金は減っていきました。

しかも夫は育休から復帰後、職場の人間関係や押し付けられる仕事量に嫌気がさし転職をします。転職後、夜勤がない生活になったのはいいのですが、年収はガクッと落ちました。そして2025年に入ってから、思っていたことがやれなかったという理由でまた転職しました。年収は、もちろん上がらないまま。

そんな中、私も3人目を出産後、仕事復帰したところ異動になりました。

 

復帰した職場はこれまで10年以上在籍した助産師として働ける産科ではなく、看護師として働く内科外来でした。

全くの畑違いの部署に困惑しました。

異動がわかってすぐは「いやだ!助産師として働きたい!」そう思ったのですが、育てなくてはならない子どもが3人。

夫は転職を繰り返し、年収は上がらないどころか下がっています。共働きでないと経済的に苦しい。いま自分が転職したら時短勤務もできなくなる。※入社から1年未満の労働者は基本的に時短勤務の対象外

異動でも辞めるわけにはいきませんでした。

 

在宅ワークを考え始める

新しい部署の先輩方に恵まれ、半年もすれば一人前に働けるように育ててもらいました。もちろん休みの日に疾患の勉強などもして、患者さんに迷惑にならないよう必死にがんばりました。自分のことはなんとかなります。

けれども、子どものことはコントロールできません。子どもの熱で有給をもらうことは1年で20日くらいありました。夫と交代で休みを取っても、です。

小学3年生になった息子は学校へ行っても、「学童には行きたくない」と話します。私がお休みの日は学童に行かず帰宅させると、「児童館行ってくる!」と仲良しのお友達と遊びに出かけるようになりました。

 

ママ友が週4日在宅ワークをしていると聞いて、自分も子どもの発熱時に肩身の狭い思いをしてお休み連絡をしないで済むなと思ったり、子どもに仲の良いお友達と遊びたい息子を自由に遊ばせてやりたいとぼんやり考えるようになりました。

 

そんな時に4人目の妊娠が発覚。

実は4人目の子どもは、予定していた妊娠ではありませんでした。

もう40代だし、そんな簡単に妊娠なんてしないだろう、と甘く考えていたんです(助産師なのに)。仕事復帰して4か月で上司に妊娠報告をしました。とても言いづらく、申し訳ない気持ちで伝えたのを覚えています。

 

4人目の産休・育休で家にいられるのはいい。

けれども育休手当ではまた収入が減るし、そのうちまた病院に復帰してもどこの部署に配属になるかはわからない。看護師も助産師もただの駒。代わりがきくのは助かるけれど、でも、一生ただの駒でいたくない。これから4人目を産むとなると時短勤務で収入も少ないまま・・・

そう思った私は、看護師以外で収入が得られないかと考え始めました。

子どもがいるので、在宅ワークができる仕事ならなお良しと思いつつ、具体的に転職を考えると、経験のある看護師や助産師の仕事しか浮かばない。

そんなとき、何気なくインスタグラムを見ていたら、在宅ワークで稼げる仕事の広告が目に入ってきました。

「なんだろ、コレ」「私でもできるかな」

興味がわいてオンラインスクールのサイトに飛んでみると、インスタグラムで発信を始めて3か月で収入が得られるようになる?!

「いいじゃない、やってみたい!」「スキルも学べてお小遣い稼ぎにでもなるなら始めてみよう」

そう思って数日先の説明会を予約。当日、ワクワクしながら説明会に出席し、その日のうちに入会しました。

現在

そうしていまインスタグラムの発信を始めて2か月経ったところです。実際のところ、まだ雀の涙ほどしか収入は得られていません。

それでも、入ったスクールは当たりだったと感じています。いまブログを書いているのも、そのスクールで学んでいる過程での行動なのですが、とにかく学ぶことが無限にある・・・!!

SNSのスキルだけではなく、マインドや時間管理やら最先端の生成AIやら・・・いまは毎日時間が足りなくて、今までポヤンと生きてきた時間を取り返しているかのように忙しく過ごしています。

3月には産休に入り、時間ができる予定なので、学びの時間を増やし、まずは月5万円の収入を得るところまで持っていきたいと思っています。

そして、育休を取得している1年の間に月収30万円を目指します!

 

「4人育てながら本当に達成できる?」

「月収30万円はさすがに無理でしょ?」

そんな声も聞こえてきそうですが、1歩ずつ前に進めれば不可能ではないはずです!

 

たまに思い出して、そういえばあの人、本当に在宅ワークで収入上がったのかな?と進捗状況をチェックしに来てください!

みなさんにチェックしてもらうプレッシャーも糧にしてがんばります!